2018-05-18 第196回国会 衆議院 外務委員会 第12号
そこで、外務大臣にこれもお伺いをしたいと思いますが、まず、日本政府として、韓国がTPPに参加を前向きに検討しているということをどう捉えているのか、また、中国については、アジア太平洋の大きな貿易の公正なルールを定めた画期的な枠組みであるTPPに中国も入った方がいいよと促す立場なのか、それとも、ブラントに申し上げて、そのままほっておくのか。
そこで、外務大臣にこれもお伺いをしたいと思いますが、まず、日本政府として、韓国がTPPに参加を前向きに検討しているということをどう捉えているのか、また、中国については、アジア太平洋の大きな貿易の公正なルールを定めた画期的な枠組みであるTPPに中国も入った方がいいよと促す立場なのか、それとも、ブラントに申し上げて、そのままほっておくのか。
昔、二〇一三年に、私、TPPの調査にアメリカに行ったときに、全米自動車評議会というところのブラント会長に会ってきました。元ミズーリ州知事だった共和党の人です。この人は、TPPに日本が入るなんてとんでもないと言っているんですよね。
ブラント委員会の生存への計画及び共有の危機、パルメ委員会の共通の安全保障に続くものが、環境と開発に関する世界委員会の我らの共有の未来です。この中で、将来世代のニーズを満たす能力を損なうことなく今日の世代のニーズを満たすような開発を持続的開発と意義付けし、しかも、西暦二〇〇〇年までに達成するとあります。しかし、既に二〇〇〇年は過ぎております。
それを継承したのがブラント氏です。東に向かって、つまり、ポーランドだチェコだソ連だというところにまでその対象を広げていった。オストポリティック、東方外交と呼ばれたということです。 仏独間の和解というのは、協力のモデルということで見られるようになりました。例えば、この二国間の教科書委員会というのができたんです。
それが、例えばブラントがワルシャワでひざまずいてユダヤ人の墓に参ったというのと、それから、A級戦犯が靖国神社に祭られておられても何ら心理的抵抗は感じないと言われるのと、それはそこの違いだと思います。 だから、これは要するに国民がそのことを認識しているか、していないかの差でありまして、その行動が国に現れているというふうに考えます。
ドイツでこの問題が提起されるきっかけとなりましたのは、ブラント社会民主党政権が推進した、離婚における破綻主義の採用、妊娠中絶の非処罰化、ポルノの非犯罪化などの政策でありました。
ここぞというときに非常に大きなジェスチャーを示せる、その非常に典型例が、ブラントがあのワルシャワでひざまずいている写真で、あれが世界を駆けめぐったことの政治的な重みというのはすごかったわけですね。別にあれは一銭もかかっていないわけですから、ひざまずくためには。
しかし、私がちょうどベルリンにおりましたときは、ヴィリー・ブラントが当時市長さんでした。ある日突然ベルリンの壁をつくるようなこの東ドイツ、東ベルリンと交流することはならぬ、非常に皆さんの激しいそういう批判もあった中で、ヴィリー・ブラントは執拗に、まず最初は、クリスマスイブだからといって、その東西分断していた家族の交流から始めました。
かつて、一九七〇年に当時のウィリー・ブラント西ドイツ首相がポーランドを訪れて、ワルシャワのユダヤ人ゲットー記念碑の前でひざまずいて一言も言葉を発することがなかった。けれども、世界じゅうの人々はそれを見て、ドイツは誠実に謝罪をして反省しているということを実感したわけなんです。
結果、連邦議会及び政府機構の中枢部分をベルリンに移し、ボンも政府機能を保持する旨のベルリン案が、SPDのブラント元首相、フォーゲル党首、CDUのショイブレ内相の連名で動議として提出され、三百三十八対三百二十の僅差で決議されております。表決の結果につきましては、「党議拘束」というペーパーの二ページ目に各党別に詳しく記載してございます。与野党とも賛否が拮抗しております。
私はウィリー・ブラントという政治家が好きでありまして、あの人が援助の哲学というのをされた。平和の戦略としての援助の哲学、援助をすることは、貧困を除去し、それが平和へつながるんだということでやられたと聞いております。 今、憲法の問題に、私は、鳩山議員と同じように、環境権も必要だし、同時に、日本の国家アイデンティティーとして、環境の権利と義務というものを世界に提示することが今の日本に必要ではないか。
定着した一つの非常に大きな理由は、ブラント首相が、ポーランドに行って、ワルシャワのユダヤ人ゲットーを訪ねて、そこでひざまずいたわけです。それでわびた。それが全世界的に報道されて、これがドイツの真摯な反省を示す象徴的な行為として定着する。ブラント首相は、たしか翌年、ノーベル平和賞をいただいたと思います。 つまり、国家の指導者の象徴的な行動というのは非常に大きな意味を持つんですね。
当時ベルリンの市長でありましたビリー・ブラントさんがやがて首相になって、執拗に東西の交流、市民交流を重ねました。そして、そのことが大きな新しい歴史をつくることになった。米ソの冷戦構造がこんな形で形が変わるとは私も思いませんでした。あるいは、アメリカと中国、私が初当選をさせていただいたころの日中国交回復、いずれもそれは時の政治家が新しい歴史を展開してきたと思います。
例えば、最近でいえば、ドイツのシュレーダーという現在の首相は、そのとき党首ではなかったわけでありますし、ドイツは、一九六一年、初めて首相候補に名乗りを上げて選挙をしたブラントという、新しい首相ができましたけれども、そのときに初めて社会民主党は首相候補を名乗って、明示をして選挙戦を戦ったということを、私は歴史的な話として聞いております。
そのときに、アデナウアーが西側との信頼関係をどんなに築いたか、そしてブラントが東側との信頼関係をどんなに築いたかということで、信頼という言葉を何度も言っておられました。私は、外交の最も重要な部分だろう、こういうふうに思うんですね。
京都会議を通じて環境外交が一層定着しましたが、ブラント報告書が述べているように、国家指導者が地球規模の責任感を持たなければならない必要が差し迫っていることを考えますと、環境外交は国際的交渉の場でますます重要なことになってきております。小渕総理は、みずからの政治理念に環境外交をどのように位置づけているのでしょうか。小渕恵三内閣総理大臣に御見解をお伺いし、私の質問を終わります。
ここでテストケースの、西ドイツのブラント首相の身に降りかかったギョーム事件というのを御紹介しますと、ギョームという私設秘書がブラント首相の周囲におった。この私設秘書は東側のスパイだったのですが、どういうふうな情報を東側に流したかどうかは関係なく、こういう疑惑のある人物が周りにおったということで、ブラント首相は辞任するわけですね。
一九七四年四月二十四日、ブラント首相の私設秘書(党務担当)であるギュンター・ギョームが、東独の諜報機関のスパイ容疑で逮捕された。一九七五年の十二月にギョーム本人には懲役十三年、妻クリステルには八年の刑が言い渡された。ブラント首相はこの事件の責任をとり五月六日に辞任をしたというのが記録として残っております。そして、そうした問題があったことを、議員の御質問で改めて思い出しております。
それは、スパイとの接触が明らかになり、時の首相あるいは大蔵大臣が辞任に追い込まれたイギリスのプロヒューモ事件、西ドイツのブラント首相事件などから明らかであります。 しかるに橋本総理は、衆議院予算委員会やその後の記者会見において、中国の諜報部員であったか調べようがない、そんなの調べようがない、それでわかるようなら諜報部員と言えるかと述べたのであります。
ブラント西ドイツ首相が辞任したのは、ギョーム事件という、これは、個人秘書ギョームが東側のスパイであったことが判明して、東方外交の輝かしい業績の中で彼は辞任したんです。どういう情報がギョームに行ったかということは問題ではなくて、スパイが身辺におったことがわかり、疑惑が生じる、国家の機密が流れるのではないかという疑惑の中で、普通の民主主義国家の公人は潔く辞任しなければならない。
特に、アメリカで八三年の三月にこの加熱製剤の承認があったわけですが、その後、たしか五月ぐらいに、あちらのFDAの担当の方、ブラントさんが、肝炎を目的にして開発されたこの製剤が願わくばエイズにとっても有効であるようにという期待声明を出しているのですね。私どもとしては、大変意識しました。これは覚えております。